貧富の差はなくならないという残酷な現象『データの見えざる手』
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今回の書評は『文庫 データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則 (草思社文庫)』です。
ビッグデータ解析の生きた実例と社会実験を紹介
人は機械ではない。しかしある法則にしばられて生きている。
そんなはずはないと思いませんか?私たちには意思があり、何をやるか自分で決めて日々生活しているはずです。
哲学的な話になってしまいましたが、本書は哲学の本ではありません。これまで心理学や社会科学で扱われていた研究を、テクノロジーでアプローチしたのが本書です。
本書のタイトルである「データの見えざる手」とは、経済用語で使われた見えない力(アダム・スミスの見えざる手)から来ています。これまで見えにくかった人間の活動をデータ化して分析したら、そこには法則があった。見えざる手があったのです。
著者の矢野和男氏は日立でセンサーの開発と応用を研究していました。その研究で生まれたもののひとつがリストバンド型のセンサー、今でいうスマートウォッチやアクティビティトラッカーの先駆けでした。
はじめは誰も実験に参加したがらなかったので、著者自身がこのリストバンド型センサーを常時身につけました。日々の活動をデータにして解析したら、今までにはない発見をすることができた。この発見がきっかけでさらに大規模な実験を行うようになりました。
具体的に本書では、人の活動の法則性や生産性、売り上げが伸びる組織とそうでない組織の違い、店舗内での客と従業員の最適な距離(売り上げが最大になる従業員の配置)、運は偶然なのかどうか、幸せとは何か、ということをデバイスやデータの解説と共に取り上げています。
いずれのテーマも精神論や空想ではなく、ウェアラブルデバイスで測定したデータから説明します。だからこそ、本書は哲学書ではなく科学技術の本なのです。
この実験が最初に始まった2006年、まだビッグデータもIoTという言葉も社会に浸透していないころです。しかし本書はIoTの生きた事例集として信頼性はあるでしょう。
関連記事:先端かつ横断的な技術の融合で新しい社会へ『IoTとは何か』(IoTについて解説)
さらに、収集したデータから売り上げの改善方法を提案する手段としてAIが登場します。AIについての基本的な説明と、ビッグデータとの相性の良さについて本書の後半で書かれています。
これまで、ことわざとして伝えられてきた先人たちの感覚がデータで裏づけられたと著者は主張しています。このシリーズでも扱ってきた「多動力」や「共創(コラボ)」の重要性がデータとして裏付けられていることがわかるでしょう。
人間の活動も熱力学の法則に従う
人間はエネルギー体(熱機関)である。
本書はこの定義から物理的な目線で話を進めます。物理の世界では原子や熱エネルギーについての研究が早くから行われていたので、法則などはすでに体系化されていました。
そしてリストバンド型センサーでのデータ測定の結果、熱力学の法則が人間の活動にも当てはまると結論しました。本書から引用させていただきます。
人間の行動には、原子の運動や電磁波と同じような意味で、厳密な「エネルギー」が定義できるわけではない。しかし、腕の動きの回数の分布は、原子のエネルギー分布と同じ式で表される。
これまで常識としていた統計学の分布(正規分布やポアソン分布)ではなく、右肩下がりのグラフ(ボルツマン分布)になることをデータが示したのです。
仕事も家事も腕を振る回数は決まっていることから、一日にできる作業量には限界があるというのです。 ToDo リストを作って仕事を管理するのは幻想である、とまで著者は言います (kindle 版位置 No. 472 付近)。
確かに、人間をエネルギー体として実験したのは合理的です。活発に活動している人はエネルギーレベルが高く、逆にエネルギーがまったく無い状態は人にとって死を意味するでしょう。
モラル的にどうかという議論はあるでしょうが、物理の世界に当てはめるとそうかもしれません。
右肩下がりのグラフについては次節で説明しますが、簡単に言うと偏りのあるグラフです。
自然現象は均一に起こるのではなく、偏りがあるのです。空気中の分子が他の分子にぶつかる現象(エネルギーのやりとり)も、人間の活動も、一見ランダムに起きていると見えがちですが均一ではないのです。
本書ではそれをシミュレーションで視覚的にも説明しています。ランダムに配置した丸い玉は、服の模様 (ZoZo Suit) のように均等には配置されず、まだら模様になるのです (kindle 版位置 No. 332 付近)。
ベーシックインカムでも貧富の差はなくならない
お金の流れをシミュレーションする
本書でもっとも衝撃を受けた部分。それは先に説明したエネルギーのやり取りを、お金のやり取りにも当てはめたことです。
著者は貧富の差が起きる現在の経済モデルも、右肩下がりのグラフで説明できるとしています (kindle 版位置 No. 349 付近)。
この部分をもっと掘り下げるため、本書の内容を元にあるシミュレーションをしましょう。私が個人的に想定した内容なので批判もあるでしょうが、本書の内容を理解していればこうなることがわかります。
ベーシックインカムが実現したとします。 A さん、 B さん、 C さん、 D さんの 4 人に同じ金額のお金を支給したとします。仮の話として、このベーシックインカム以外の現金や資産を持っていないこととします。スタートラインは平等としましょう。
支給されたお金は金券ではありません。したがって使い方に制約はありません。自分のお給料を自分で使いたいように、ベーシックインカムでもらったお金も自由に使うことができます。
そのため4人みんながこれまでと同じようにお金を使って生活します。遊ぶ人もいれば、そのお金で何かを創作したり、投資をしたり、何らかの活動をするでしょう。
翌月にはまた一定のお金をベーシックインカムとしてもらいます。そのお金で引き続き生活をします。
ここで「お金をもらう」、「お金を使う」という流れが繰り返されます。これは先に説明した繰り返し動作であり、偏りの発生原因です。
経済活動が繰り返された結果、 A さんが最も手元にお金が残り富裕層になりました。ほかの 3 人は A さんほどのお金は残りませんでした。
図に示すように、各自のお金の所有額は右肩下がりのカーブになるのです。
スキルや経験年数だけで収入は決まらない
スタート時点では等しくお金をもらっても、結果的に格差は生まれてしまうのが本書の主張です。格差はなくせないのです。
実際の経済モデルは先ほどのシミュレーションのように単純ではありません。収入は職業、スキル、経験年数などで決めるべきです。
でも、あなたの周りに「どうしてあの人はあんなにお金もらっているんだ?」という人はいませんか?
単純に人のスキルや生産性だけで収入が決まるなら、こんなことにはならないはずです。
私自身、もっと収入が高くても良いはずだと思っているところもあります。残念ですが、専門能力や会社への貢献度だけで出世や給料アップが望めない。このことを受け入れざるを得ません。そして本書はそれをデータを使って説明しています。
経済活動はお金というエネルギーの流れである。そして人間もエネルギーを持つ生体である以上、この物理法則には逆らえないというのが著者の主張です。本書のタイトルである「データの見えざる手」の一例です。
運は実力のうち、といいますが「運こそ実力そのもの」と著者は確信を持っています (kindle 版位置 No. 1991 付近)。動けること、活動することこそ幸せと本書は結論します。
貧富の差を意識した生活をしたくなければ、自給自足するしかありません。しかし現実的ではないでしょう。したがって、格差(お金がある人とない人の差)よりも貧困(お金のない人をどうするか、ボトムアップすべきか)をどう解消すべきかが本当の課題なのかもしれません。
このように、本書では感情的に受け入れられない話も出てきます。私個人としてはデータで示されている以上、本書の内容を否定することはできません。
さらなる研究結果が期待されます。