新技術を受け入れなかった自動車業界の闇『電線一本で世界を救う』

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今回の書評は『電線一本で世界を救う (集英社新書)』です。

電線一本で世界を救う成分

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試行錯誤の上にできた技術が理解されない苦しみ

電気は「わかった気」になる厄介な学問です。

私は電気技術者として働いているのですが、著者の専門性の高さの前ではそう名乗るのが少し恥ずかしいです。通常の電気計算はオームの法則(電圧=電流×抵抗)が使えればいいのですが、少し高度な計算をするには数学の知識だけでなく原子レベルの物理の知識が必要になります。

私の周りにいる優秀な方たちはみな、高等数学や物理の知識を当たり前のように使っていて尊敬しています。

著者の専門分野はオーディオ機器です。音質の向上を追求した結果、電線の素材を銅から銀に変えて音がクリアになることに気づきます。自分で何でもやってみないと気がすまない著者はこの電線を車の改造に使ってみます。

その結果、車の性能アップだけでなく有害ガスの排出量が下がることを発見します。

本書は著者のこの発見からドロドロの自動車業界の内側を目の当たりにします。

著者は実験をベースにいくつか特許を取得するのですが、そこから「このデータはねつ造だ」と自動車会社の猛反発を受けることになります。地球や消費者にとって良いことなのに、これらの特許のいくつかがつぶされて闇に葬られてしまいます。

一介の技術者である著者に対して、日本を代表する産業が感情をぶちまけてまで全力で既得利権を守りにいく醜さ。電線一本で世界を救うというタイトルは大げさに見えるものの、そこには自動車業界の闇に立ち向かう著者の実体験がありありと書かれています。

著者は本書内で業界を痛烈に批判していますが、中でもこの一言には哀愁を感じます。引用させていただきます。

たくさんの資金を引き受けている重圧、組織のなかで評価されなければならないというしがらみが、目の前で起きたことを認められないほどに彼らの目を曇らせてしまっているのだろうか。

山下博 『電線一本で世界を救う』 集英社新書 (2010) pp.109 – 110 より引用

銀の電線を開発する著者の試行錯誤の話には、同じ技術者として共感しかありません。だからこそ、時間とお金をかけて作った技術が世に出ないことに悔しさをにじませるのです。

本書の内容は 1980 年代の終わりから 2000 年代にかけての話です。暴露本としての要素もあれば、昔話的なところもあるので著者は発表したのでしょう。物語として単純に楽しむこともできます。

技術の分野にも力関係が存在する

この話は本当なの?と疑う人もいることでしょう。

技術的な話については、本書を読んで私も納得しています。

本書には図表を交えた科学的な説明(根拠)もありますし、燃焼データをどうやって検査したかについても書かれています。電気工学、機械工学、燃焼工学の知識が必要とはいえ、お金と環境があれば再現試験はできます。ねつ造とは思えません。

問題は自動車業界の話です。

著者はエンジンからバッテリーに 1 本のアース線をつなぎました。エンジンのピストン運動で発生する静電気をアース線が除去することで性能アップしました。

しかし、自動車業界がエンジンにアースしない理由があります。「壊れなくなる」からです。車も故障するから買い替えが必要になり商売として成立します。壊れなくなったら修理も新車も売れなくなってしまいます。

車の性能が上がって排気ガスは減れば、利用者だけでなく地球にも優しいはずなのに、です。

これこそ既得利権ではないでしょうか。最近よく耳にする自動車会社の排気ガス不正問題が明るみになっているのは、因果応報なのでしょうか?皮肉にも著者の指摘が長い時間を経て表沙汰になった感じがします。

技術の世界にも力関係があります。自動車業界に私はいませんが、私のエンジニアの経験をお話ししましょう。

エンジンは機械エンジニアの領域です。一方アース線は電気エンジニアの領域です。つまり著者のやったことは機械と電気の両方の領域の仕事です。

私の経験上、機械エンジニアと電気エンジニアではたいてい機械エンジニアの立場が上(力がある)です。アース線をつけることに機械エンジニアが認めなかった可能性はあります。

本書ではあらゆる自動車会社や検査機関がこのアース線の効果を受け入れませんでした。でもアース線の効果を知っていた技術者だっていたと考えられます。著者と同じようにつぶされていたか、暗黙の了解でやらないことになっていたのか、疑うとキリがありませんね。

電気自動車でも通用する技術だが課題も

車とアースの関係

テスラモーターズという電気自動車メーカーがここ数年で台頭してきました。今後は間違いなくガソリン車から電気自動車の時代になっていくでしょう。

そうすると、著者のやったことは今後通用しなくなるのでしょうか?検討してみましょう。

電気自動車ではエンジンがモーターに置き換わります。本書ではエンジンにアース線がなく車のボディを使っていたとありますが、モーターの場合はアース線を接続することが常識です。私の経験上、モーターにアース線をつけないと間違いなく社内で怒られます。

つまり、市販の電気自動車にはアース線が標準で備わっているはずです(一度実物を見てみたいです)。ただし本書で紹介した方法とは以下の 2 点で異なる可能性があります。

  1. モーターのアースをバッテリーに直接つなげるか?やはりボディ接続か?
  2. このアース線を銀素材にするか?

1については実物を見ないとわかりません。

エンジンのアースは静電気除去による性能アップが目的でした。モーターのアースは漏電(感電)からの保護という安全が目的なので少し事情は異なります。またボディアースか、バッテリーに接続するか、それともモータードライバー経由のアースなのか、実配線を見ないとわかりません。

2についてはコストの関係で難しいでしょう。

銀は値段が高く埋蔵量も銅に比べて少ないです。ほとんどの電線に銅が使われているのもコストなどの現実的な問題です。どうしても銀の電線を使うのであれば高級車でしょう。

そして、銀のアース線でどれくらい性能が上がるのかは未知数です。ぜひ著者に実験していただきたいです。

ガソリン車から電気自動車に代わることで、少なくともこれだけのメリットがあります。

  1. 部品点数が少なくなり、製造コスト低下や交換部品の管理が楽になる(一説には100分の1で済むとか)
  2. モーター自体がエンジンよりもシンプルなつくりなので故障しにくい(モーターを動かす制御系やバッテリーの方が先にダメになるはず)
  3. オイル交換など不要なのでメンテナンスも楽になる

部品点数が少なくなることで部品メーカーにとって打撃になることは間違いないでしょう。ただし資源保護の観点でいえば部品は少ない方が良いはずです。ここでも利権がからむのでしょうか?

著者の努力が報われていることを願うばかりです。私も技術者の1人として、消費者ファーストであってほしいと願います。

今回紹介した本

山下 博, 集英社, 2010
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