科学的とは検証プロセスに誠実であること『魂の重さは何グラム?』
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今回の書評は『魂の重さは何グラム?―科学を揺るがした7つの実験 (新潮文庫)』です。
科学は時にオカルトとなるのか?
あなたは魂の存在を信じますか?
理系博士の私がこう言うとオカルトか?と批判を受けるかもしれません。
著者のレン・フィッシャー氏は、パロディのノーベル賞である「イグノーベル賞」を受賞した科学者です。受賞内容は「ビスケットを崩壊させずに紅茶に浸す方法」。ふざけた内容かもしれませんが、科学は身近に存在するという大切なメッセージがそこにはあります。
そんな著者が厳選した実在の科学者のストーリーをまとめたのが本書です。内容は運動、光、雷、錬金術(化学反応)、生命まで幅広く、各現象について図解つきで解説しています。
本書のハイライトはタイトルにもある第1章「魂の重さを量る」話です。
20 世紀の初頭、アメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルは「魂に重さはあるのか」を実験で確かめようとしました。患者を特殊な天秤に乗せ、死の瞬間の体重の変化を測定します。
その結果、魂の重さは 4 分の 3 オンス (21 g) だったという結果をまとめました。そしてこの発表が論争をよびます。今風に言えは Twitter で炎上したような感じです。
そんなバカな、と思われるでしょう。しかし著者も自らを「科学者であり歴史家ではない」と言い、この結果について検証します。
過去にどういう実験が行われてきたか、この実験が本当に正しかったのか、魂以外の要因はなかったか(例えば熱や湿気が原因で増減があった)、犬での実験はどうだったか、本書では話を展開していきます。
また宗教的、倫理的な批判が来ることも想定して言い回しも慎重です。
本文ではハッキリと結論は書いていません。そのため読み返してもスッキリしない部分もあります。ミステリー的な読み物ともいえます。
科学が進歩する過程でどういう議論が交わされてきたのか。科学は無味乾燥な学問ではなく、もっと人間的な生々しさが本書からわかります。
英語で出版された本の翻訳版なので、やや堅苦しさはあります。その分読みごたえもしっかりしています。
非科学的とは「検証しないで決めつける姿勢」
科学的であることの条件
科学とエセ科学の違いはハッキリしていません。Wikipediaにも解説がありますが、何をもって科学的なのか?意見は分かれるところです。
外部リンク:疑似科学 – Wikipedia
科学的ではないものとしてUFOや幽霊(スピリチュアル)が例に挙がるでしょう。
しかし、存在そのものについて科学的かどうか議論するのは違います。
科学的でないのは「これは非科学的だ」と検証せずに決めつけることです。思考停止とも言いますが、これは危険な考えです。
結果が正しいかろうと間違っていようと「仮説を立てて検証するプロセス」が科学的なアプローチです。根拠を元に議論することが大切なことです。
この点を誤解している人は多いでしょう。これは仕方ないかもしれません。大学教授や科学者でも説明できない人がいるというのも事実です。
私の考えている「科学的であること」の条件は以下の3つです。
- 体系的であること
- 実証的であること
- 客観的であること
1の体系的というのは「情報が整理されていること」です。例えば本という形で整理されていればこの条件はクリアです。支離滅裂な内容ではダメということです。
2の実証的は「現実世界に起きていることを説明すること」です。個人が空想しているだけではまだ科学的ではありません。
理論物理では現実の現象を説明しようと数式などで裏付けをします。発表後、他の研究者が実験をしてデータで裏付けてやっと評価されます。最近ではアインシュタインが予測した重力波の存在を確認したという発表がありました。
それくらい理論で攻めるのは難しいことです。
3の客観的は「誰が見ても納得できるようになっていること」です。データで説明することが客観的なアプローチの代表です。統計学はデータに客観性を持たせるためのツールです。データを加工することで捏造もできてしまいますが、ただ口で説明するだけよりも説得力が出ます。
3つの条件を使えば科学的かどうか判断できる
先ほどの3つの条件から、占いは科学的な説明が難しい学問といえるでしょう。占いは3つの条件のうち当てはまらない項目があるからです。
- 本が多数出版されている ⇒ 体系的には OK (内容が正しいかどうかは別問題)
- 現実の事象を説明しようとしている ⇒ 実証的には OK (内容が正しいかどうかは別問題)
- 当たった/外れた ⇒ 客観的?気持ちの問題?
またUFOの検証は通常写真や映像で確認するため、解釈が分かれ客観的かどうか判断ができません。霊も同じように主観的な部分が多いです。
しかし上記の3つの条件をクリアすれば科学的になるでしょう。
少なくとも本書に出てくるマクドゥーガル医師は実験データを取って客観的に説明しようとしました。一方的に「これは科学的ではない」という前に、冷静になることが必要です。
科学技術も会社経営もPDCAが必要
会社経営では PDCA を回して事業をより良いものにしようとします。図の左側ですね。計画 (P), 実行 (D), 検証 (C), 改善 (A) という流れを何度も何度も繰り返して、顧客に最適な物やサービスを提供しようと日々努力しています。
外部リンク:PDCAサイクル – Wikipedia
科学技術研究で行われる仮説検証プロセスもまさにPDCAです。図の右側をご覧ください。
仮説 (P) → 実験 (D) → 検証 (C) → 他の方法を試す/実験条件を変える (A), という流れを繰り返す。本書のマクドゥーガル医師は少なくともこのようにPDCAを回していました。
- 仮説(魂に重さはあるのか?)
- 実験(体重の変化を計測)
- 検証(取れたデータは正しかったか?)
- アクション(犬ではどうだったか?など他の条件を考慮)
偉大な発見は試行錯誤の末に生まれます。したがって、マクドゥーガル医師のやったことは科学者としては間違っていません。
誤解してほしくないのは、人の命を扱ったからにはモラルの点で議論の余地があります。しかし、疑問に答えを出すために実験をした点については非難されるべきではありません。
昔は医学でも血を出して治療するなど、今では考えられないことが行われていました。それと比較するとマクドゥーガル医師の発表は慎重かつ勇気あることだったでしょう。
最後に著者の言葉を引用します。科学者、技術者が暴走しないためにも、実行する人は大胆かつ謙虚であってほしいものです。
よい科学者は、彼ら自身が間違っていることを証明しようとする。自分が誤っているという証明に失敗すればするほど、最初のアイデアあるいは観察が信じられるようになるからだ。