技術の浸透で誰でも同じ土俵で勝負できる『フラット化する世界』
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今回の書評は『フラット化する世界 経済の大転換と人間の未来』です。
新しい発明でも社会構造が変わらないと活かせない
この記事は新型コロナウィルス (COVID-19) で国がロックダウンしているしている状態で書いています。あなたは Zoom で会議に参加したり、お子様をネット経由で勉強させたりしていますか?
このようなリモート活動自体は以前からありました。本書ではまず、出版当時の最新技術によって働き方や生き方が変わってきていることを示しています。
- 飛行機チケットの購入は旅行代理店ではなくコールセンターで
- ドライブスルーのリモート注文
- オンライン家庭教師
- ビデオ会議で貿易協定締結
今は「チケット購入はオンライン」、食事の注文は “Uber Eats”, オンライン教育は “Skype, Zoom または Youtube” ですね。イギリスでは国会運営もオンラインです。
インターネット技術によって社会が劇的に変わる。このことを著者は主張しています。
しかし本当の意味で世の中が変わったと思えるのは 2012 年以降ではないか?と私は考えます。
「新しいものが世に出てもそれですぐに社会が変わるものではない」と本書では説明しています。引用させていただきます。
電球が発明されたのは一八七九年だが、電化が始まり、経済や生産性に大きな影響をあたえるようになるまで、数十年の時を要したというのだ。なぜか?電動機を取り付けて古いテクノロジー(蒸気機関)を廃棄するだけではだめだからだ。製造の手順すべてを再構築しなければならない。
この引用が意味することは「新しいものが発明されるだけではダメ。新しい発明が活きる社会システム全体が変わって初めて発明品の効果がでる。」ということです。
本書の初版は 2005 年、私たちが使っているスマートフォンや各種サービスが出てくるはるか前です。例えば初代 iPhone は 2007 年発売、 Twitter は 2006 年スタート、 Youtube は 2005 年スタートです。
発明品が活きるまで「時差」がある。例を挙げてみましょう。
Youtuber という職業が出てきたのは紛れもなく Youtube というサービスの登場だけではダメでした。スマートフォンの普及が必須だったのです。
ヒカキン氏が『僕の仕事は YouTube』を出版されたのは 2013 年、 Youtube のサービス開始から 8 年が経過しています。私が最初に買ったスマホの iPhone 5 も 2012 年発売です。ちょうどこの頃が Youtuber の黎明期です。
社会システムの再構築が必要、という意味ではこの記事を書いている 2020 年こそが大きな転換点ではないでしょうか。
新型コロナウィルス (COVID-19) によるロックダウン。外出できない、他人と接近すると感染リスク。多くの業界がインターネットを駆使した事業に転換せざるを得ません。
まさに「世の中の社会システム全体を再構築している」といえるでしょう。「アフターコロナの世界」という論説も世に多く出ていますが、まさに本書が指摘していた内容がシンクロするのです。
本書は 818 ページある大作です。なぜなら著者のフリードマン氏はジャーナリスト。多くの取材(証言)や雑誌の記事を引用して作られたからです。
もし全部を読む時間がなければ上巻を読むだけでもいいでしょう。初版の出版後に内容が追加されて現在のボリュームになっています。
このレビューも上巻をベースに要点を説明します。
しかし上巻でも「なぜこのようなフラット化が起きたのか」という検証を歴史的に紐解いています。
グローバル化の視点から数百年かけて 3 段階に分けて現在の状況になってきた。この解説は読みごたえがあり「今後自分がアフターコロナの社会をどう生きるべきか」を考えさせられました。
上巻だけでも読みごたえは十分です。
「仕事を奪われる」と言われ続けて15年以上。創造的な仕事であれば無くならない
「光ファイバーや電子メールの普及で、アメリカ国内の仕事がインドに流れている。アメリカ国内の仕事は無くなるのではないか」
と本書では書かれています(同書 kindle 版 No. 312 付近)。先ほどの技術の浸透による社会構造の変化です。
似たようなことがこの記事の執筆時点でも言われていますね。「 AI に仕事が奪われる!」本書が出版された 15 年前から同じことが言われていました。
実際はどうでしょうか。
AI ではなく新型コロナウィルスで経済活動が止まり大不況・大量解雇の危機です。
たとえ不況ではなくても「効率化のために AI を導入する」ことは考えられます。しかし前述した「社会構造の再構築」が新型コロナウィルスというきっかけで AI やほかのシステムに一気に置き換わりそうです。
特に印鑑文化が変われば社会構造が変化したといえるでしょう。
ではすべての仕事がなくなるのでしょうか?本書にはヒントもあります。
アメリカからの仕事を受注しているインド人の話です。「我々は下請け仕事を引き受けただけです」
このような下請けの仕事は AI やロボットにとって代わるでしょう。しかし前述のインド人は続けます。
再び本書から引用させていただきます。
「アメリカで今後も成功したいと思う公認会計士は、合法的な節税、税金を軽くする手段、顧客との人間関係の管理など、複雑で創造的な戦略の構築に焦点を絞る必要があるでしょうね。」
この引用から下記に示す仕事は残るでしょう。
- 企画する、プロデュースする仕事(引用部分の税金を軽くする手段の提供)
- 他人が関わる仕事(引用部分の顧客との人間関係の管理)
プロデュースという意味では、税金だけでなく音楽やマンガ、イラストといったアート的な仕事も残るでしょう。
例えば外出できなくい代わりに Youtube で音楽ライブを視聴できます。私はあるポップピアニストの Youtube 演奏を無料で視聴しており、ピアニストは演奏を配信することで広告収入を得ることができます。
また人と人の関わりという意味ではヨガやフィットネス系、健康系のアドバイザー、スポーツ講師も残るでしょう。
私は製造業で働いているので、残る仕事と残らない仕事の違いは「設計」と「製造」としてとらえることができます。
設計とは「企画・プロデュース」です。ざっくり言えば、もののイメージを作ることです。「何を生み出すか?」は単純作業ではなく創造的な仕事で「上流工程」ともいいます。
一方、製造はイメージを形にすることです。イメージ通りのものに手を動かして作るのが製造。基本は単純作業です。
もちろんすべてが単純作業とは言いません。より良いものを作るための試行錯誤は必要です。しかし製造は「下請けする」という言葉にあるように「下流工程」といわれます。製造で求められるのは「与えられたものをいかに安く・早く・正確に作るか」です。
別の記事で「大阪城を建てたのは誰か?」でも解説しました。企画する側であれば仕事はこれからもあるでしょう。
フラット化されて人間の本性まで表に出るようになった
最後に「フラット化したことで人間の本性まで見えるようになった」と私は考えています。
もう一度だけ本書から引用させていただきます。
超最高ブロガーのグレン・レイノルズは、ブログのおかげで人々はテレビに向かって叫ばなくてよくなり、ついでに意見をいう場がもてた、とよくいうんです。ブログは、マスコミを監視するとともに、生の情報を提供することによってマスコミ主流と連携する “第五の権力” の役割を果たしていると、僕は思います。
この引用の「ブログ」を “Twitter” に置き換えても全く同じ意味で読めませんか?
Twitter が「第五の権力」を持っているとはいえません。しかしマスコミを監視できるようになっています。フェイクニュースに対して「それはおかしい」とリプすることもできます。テレビに向かってグチグチ言う必要はありません。
そしてこのように「誰でも情報発信できる」ことこそフラット化の最大の効果です。情報発信の民主化でしょうか。一部のメディアの特権だったのが誰にでもできるように(フラット化)なったのです。
ブログサービスの普及は 2002 年ごろと言われています。当時のブログでも情報発信はできました。しかしパソコンを持っている人は限られていました。だから情報を発信しても一部の人にしか伝わらなかった。
しかし今は違います。誰もが携帯電話を持って情報を受け取る環境があります。
もうひとつ、一部の人しか使っていなかった当時のサービスがあります。匿名掲示板の 2 ちゃんねる(現 5 ちゃんねる)です。
私が大学生の頃は「 2 ちゃんねるを使っている人は怪しい」というイメージがありました。今はどうかわかりません。
しかし、今の Twitter のリプや Youtube のコメント欄は、当時の 2 ちゃんねるのスレッドと全く同じに見えるのです。
リプやコメント欄はまさに人間の本性が丸見えです。誹謗中傷や罵詈雑言も含まれており精神的に耐えられない人もいます。しかし中には優しい言葉をかけてくれるユーザーさんもいます。
私が見ていた昔の 2 ちゃんねるの世界がフラット化、言い換えれば透明化しています。匿名性でしょうが相手を攻撃することも、助けることもできます。
このようにツールは誰でも使える時代になりました。あとはこのようなフラット化した世界(ツール)をどのように使いこなすか、これによって人生も大きく左右する時代です。
自己管理、自律(自分のとるべき行動は自分が決める)こそがこれからの時代を生きるカギなのです。