日本人の英語下手は学校教育のせい?理由はシンプルで対策もある
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私は今でこそ英語を使って海外で仕事をしています。しかし高校生や大学生の頃、英語はコンプレックスで嫌いな科目でした。
英語コンプレックスの元凶は「学校の文法教育」といわれており、近年は会話を中心とした英語教育に変わってきています。正しい改善策なのでしょうか?
この記事では TOEIC スコアを 200 点台から 800 点台にまで上げ、英語コンプレックスを克服した私が日本人と英語についてお話します。一般論を語るのはあまり好きではありませんが、英語教育の環境向上のために自分の意見を残したいと思います。
日本人の英語が上手くならない理由「日常生活で必要としていないから」
日本で生活していて英語を使う機会はありますか?「外国人に道を聞かれる」以外にありますか?飲食店で食事をするのも役所で事務処理するのも日本語で完結しますね。
ヒトの脳は興味がないことを覚えません。そのため学校でいくら勉強しても、興味がなければテスト後に忘れてしまいます。これは英語だけに限りません。国語算数理科社会、学校でやった全教科の内容を卒業後もすべて覚えていますか?
日本人の英語下手は学校のせいではありません。必要ないから身につかないだけです。
私がかつて働いていたシンガポールでは基本的にみんな英語が話せます。多民族国家なので公共の場は共通語として英語が必須です(公用語は英語、中国語、マレー語、タミル語の 4 言語)。
またシンガポール人は学校で英語が必須科目です。一定水準の英語力が小学生から求められます。 OECD のレポートにも小学校で言語の授業と卒業試験があるという記述があります。
もちろん例外はあります。私の友人の中華系シンガポール人は英語も中国語を話せますが、中国語は読み書きできません。ニュースやチャットは英語のみです。また中華街の飲食店では英語の話せないスタッフがいますが、こういうスタッフは中国大陸からの移民でしょう。中国語だけでシンガポールで暮らすことはできるかもしれません。
しかし教育は別の話です。強制的に英語を使う環境にしないと上達は望めません。
学校の英語教育に対する個人的な意見
私自身「学校の英語教育(文法教育)がコンプレックスの原因」と思っていた時期がありました。
しかし克服した現在はそう思っていません。その理由と学校の英語教育について個人的な意見を書きます。
どうして英語だけ悪者なのか?
質問させてください。こういう文句を言ったことはありますか?
- 体育の授業が悪いから日本のプロスポーツのレベルが向上しない
- 音楽の授業が悪いから日本のミュージシャンのレベルが向上しない
学校の英語の授業のせいで日本人は英語が下手なのであれば、同じくスポーツも音楽もみんな下手なはずです。どうして英語だけが悪者なのでしょうか?
しかし実際は違います。世界的に活躍している日本人スポーツ選手やミュージシャンはたくさんいます。同様に英語の上手な日本人も実際にはいます。
大切なことは、学校の授業の時間以外にどれだけ英語学習をしているかです。
スポーツ選手になりたければ部活以外に自主練習するのは普通ですよね。
クラシック音楽の演奏家は自主練習して、音大でエリート教育を受けても食べていくのが大変な世界です。少なくとも「音楽の授業で流行の曲を教えてくれなかったから歌手や演奏家になれなかった」という話は聞いたことがありません。
英語がペラペラに話せるようになるのは、プロのスポーツ選手や音楽家になるくらいの高い目標です。学校(授業)の外でどれくらい自主的に英語に触れているかが大切です。
別の記事でも書いたので重複しますが、大切なことなのでこの記事でも主張しました。
高等教育なら卒業要件をつけて厳しく
日本人の英語下手は学校教育のせいではない、これが私の主張です。ただし厳密には少し違います。
学校教育と一口に言っても「義務教育(小中学校)」と「高等教育(高校、専門学校、大学)」があります。このふたつは別に考えなくてはいけません。
高校や大学であれば卒業要件をしっかり設けるべきです。嫌いだからやらないは通りません。
高校と大学は義務教育ではありません。自分の意志で入るからには、学生は学校側の要求する英語力の卒業要件を満たすべきです。また学校側も卒業要件については遵守すべきです。
一部の国立大学では入学試験の免除や採点の考慮に民間の英語試験の結果を採用することになりました。足切りに使うと思うのですが、やはり入学時よりも卒業時の能力が大切ではないでしょうか。
実際、 TOEIC は大学入学共通テストの制度(大学入試英語成績提供システム)を辞退をしました。理由は「受験や運用のしくみが想定以上に複雑」とのことです。入試のために途方な労力は使えない、普通の見解ではないでしょうか。文部科学省のルールに従わずスコアを保証する独自ルールがきちっと運用されていれば問題ないはずです。
外部リンク:東大など国立3割「英検準2級」で出願可 共通テスト:日本経済新聞電子版
外部リンク:「大学入試英語成績提供システム」へのTOEIC Tests参加申込 取り下げのお知らせ|プレスリリース一覧|IIBCについて|IIBC
一方、大学の卒業要件として TOEIC のスコアが求められるという認識は共通になってきています。しかしそれでも理系などでは求められるスコアはまだまだ低いです(大体 600 点以下のケースが多い)。
ある大学は卒業要件に英語の点数を導入したところ、 3 割の学生が卒業危機になったという報道もあります。日本の大学はまだまだ他国より卒業が簡単なのでしょう。日本人の英語力が世界と比較しても低いのは当然です。先ほどのシンガポールの例といい、他の国の学生は卒業するために日本人より必死です。
私もかつては英語コンプレックスだったので、緩い条件で大学を卒業したことを非難されれば受け入れます。ただし大学院博士課程については修了要件の TOEIC スコア (600 点)をクリアして修了しています。
義務教育は「好きになるきっかけ」を提供してほしい
高等教育とは反対に、義務教育は児童や生徒全員に平等に教育機会を提供する必要があります。必要なのは成績よりも「多くの科目を体験させること」ではないでしょうか。
国語、算数(数学)、理科、社会、体育、音楽、図工、技術、家庭科など、誰が何に興味を示すかわかりません。そのため「興味を持つきっかけ」を生徒や児童に与えて、興味を持ったことをとことんやらせてあげるべきです。
英語はたくさんある科目のひとつです。英語に触れてみて楽しいと思えばもっと伸ばせる環境を学校の外で提供すればよいのです。英語ではなくて理科や社会、数学など他の科目に興味を持てば、そちらを伸ばすようにすればよいのです。
確かに文法教育のせいで英語が嫌いになる人はいるでしょう。そのため英会話中心の授業にカリキュラムが変わるのは理解できます。
この変更について「英会話中心の授業のせいで読解力が落ちている」という指摘もあります。私はこの意見に疑問です。義務教育レベルは興味を持たせる方が大切なので会話中心でも良いのです。
ただし高校や大学でも英会話中心の授業にするのは問題です。高等教育なので会話よりももっと専門的な英語の授業にすべきです。当然読解力がないといけません。
周囲がサポートできる環境を作ろう
嫌いな科目の宿題をやるよりも、興味のある科目をとことん突き詰めるほうがその子のためです。
どの子が何に興味を持っているのか、何をやらせるべきか。学校の先生はたくさんの児童を一度にみなければならないので大変でしょう。先生だけでなく家族や周囲のサポートも必要でしょう。
歴史上の偉人の伝記を読むとわかります。
発明王のエジソンは小学校を中退しています。しかしエジソンの母親は教師の経験があったため、息子の才能を信じて自ら教育しました。特に化学実験に興味を持ったエジソンを、母親はきちんと監督しました。この頃やった実験が世紀の発明家の土台を作ったに違いありません。
他に私の知っている例は数学者のガウスです。小学生の頃に 1 から 100 までの整数をすべて足す計算をやらされました。しかしガウスはこの計算をあっという間に解いてしまいます(等差数列の和を自分で導き出す)。それに驚いた学校の先生はガウスの両親に数学の有名な先生を紹介したというエピソードがあります(諸説あります)。
同じように、英語も興味を持ったり好きになれば、もっと伸ばせるような環境を紹介できるようにする。
少なくとも私の両親はそうではありませんでした。自分が親になった時は我が子のやりたいことに全力でサポートしたい、そういう理想はあります。
嫌いなことを押し付けるのではなく、好きなことを伸ばすようにしたい。ましてや「自分は嫌なことを我慢してやってきたから、下の世代も同じようにしろ」と強制するのは最低ですよ。
まとめ
英語ができる人とできない人の格差はこれからも広がるかもしれません。しかし一方で、インターネットの発達と便利さのおかげで英語を使わなくても日本国内で不自由せずに生きることもできます。
英語もあくまでも選択肢のひとつ。学校のせいにせず、自分の好きな道を自分で選ぶ。私は英語を猛勉強して海外生活していることに悔いはありません。しかし他人に自分の価値観を押し付けません。これが私の持論です。
この記事をまとめましょう。
- 日本人の英語下手の原因は「日本で生活していて英語を使う必要がないから」。他国のような他民族国家では英語ができないと生活に支障が出る。
- 高校以降の高等教育では卒業(修了)要件として一定レベルの英語力を求めるべき。義務教育ではなく自分の意思で入学した以上、求められたらやる。
- 義務教育は成績よりも興味を持つきっかけを与えたい。好きなことをとことんやらせられるように周囲もサポートしよう。